三鳥問答

2008年06月10日 23:30


ガラサー山

1798年首里王府命で「これまで久米村(現在の那覇市久米町)のみから出していた中国留学生(官生)
四人のうち、二人は首里から出すように改める」と言うので久米村では大騒ぎになった。官生制度改革の
建議者である蔡世昌らに久米村の特権奪う者、裏切り者、同系の久米村を売ったもの、
として誹謗のビラを投げ込み、あるいは石を投げつけ、乱暴の限りをつくした。
これがいわゆる「官生騒動」である。松永親雲上がその主謀者として捕らえられ、島流しの刑として、
久米島に流されたと言われている。松永は反逆者の汚名をきせられたまま、現在の仲泊の近くにわび住まいをしていた。眼前にはガラサー山が見え鳥が沢山いた、その鳥を擬人化して時の政府の失政をなじったのが有名な「三鳥問答」である。

(琉球古謡)  
渡られる浮世渡ららぬ舟に
乗たるこの我身ど百恨みしやる

『歌意』
【いくら浮世が住みにくく、渡りにくいと言っても、渡られぬはずがない。 しかし私は、その浮世を渡ることのできない舟に乗って しまった。 いまはただ、わが身を百恨みするばかりである。】