ガラサー山の歴史
字大田の海岸にガラサー山と言う小島がある、1798年に沖縄本島の久米村(現在の那覇市の久米町)で『官生騒動』と言う事件がおこった、松永親雲上(まつながペーちん)は主謀者として捕らえられ久米島に、島流しの刑に処させられた。
具志川間切仲泊(現久米島町仲泊)の近くにわび住まいをしていた。眼前に、大空に手こぶしを向けた格好の岩を持つ小島があった。男性の象徴のようなたくましい石で、昔の人たちは知仁獄とかガラサーむいと呼んでいた。その岩の形、小島の配置が親雲上の憤激の念を象徴しているように思えた。当時は夕刻ともなれば島中の鳥たちが集って遊んでいる。我とわが身を比べて、実にうらやましい限りだ。親雲上は早速筆をとった。そして出来上がったのが烏・隼・鷺の三鳥を擬人化して
時の政府の失策をなじったのが三鳥問答である。
※
官生騒動
久米村のみから出していた中国留学生(官制)4人のうち、1798年に2人は首里から出すように改めた為、久米村では大騒ぎになった事件。
※ 楽天キャンプが終わって、暇になりました。久米島に観光に来る際には、送迎だけでも良いですから
私のタクシーを使ってください、予約をお待ちしていま~す!
関連記事