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2011年03月04日

ガラサー山の歴史

ガラサー山の歴史字大田の海岸にガラサー山と言う小島がある、1798年に沖縄本島の久米村(現在の那覇市の久米町)で『官生騒動』と言う事件がおこった、松永親雲上(まつながペーちん)は主謀者として捕らえられ久米島に、島流しの刑に処させられた。

具志川間切仲泊(現久米島町仲泊)の近くにわび住まいをしていた。眼前に、大空に手こぶしを向けた格好の岩を持つ小島があった。男性の象徴のようなたくましい石で、昔の人たちは知仁獄とかガラサーむいと呼んでいた。その岩の形、小島の配置が親雲上の憤激の念を象徴しているように思えた。当時は夕刻ともなれば島中の鳥たちが集って遊んでいる。我とわが身を比べて、実にうらやましい限りだ。親雲上は早速筆をとった。そして出来上がったのが烏・隼・鷺の三鳥を擬人化して時の政府の失策をなじったのが三鳥問答である

※ 官生騒動
久米村のみから出していた中国留学生(官制)4人のうち、1798年に2人は首里から出すように改めた為、久米村では大騒ぎになった事件。 

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