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2007年11月20日

一夜にして南蛮を往復した人妻

一夜にして南蛮を往復した人妻南蛮往来の人妻の墓
1972年9月2日久米島町史跡指定















その昔、一晩のうちに南蛮を往復する人妻が久米島にいたそうです。
当時は生活が楽でないものですから、夕食後も男は縄ないなど、女は「夜なべ屋」に集まって手仕事をする習わしがありました。「夜なべ屋」は、近くの女たちが小さい台所用品を作ったり、履物、農具などの手なおしをしたりする夜なべやのことです。
普通は未婚の女性の集会場のようなものでしたが、既婚の若い人が加わることも珍しくなかったようです。昭和の初期までは、
女性たちの帽子網が、夜なべの主な作業で、畑仕事を終えた若い男たちも恋を求めて集まってきました。
若い人妻も、夕食がすむと、夜なべをしていました。いつしか夜遅く帰宅した妻の着物のすそがぬれていることに、夫が気付きました。それが毎晩のことですから、不審に思うのが当然でしょう。ある夜、妻が夜なべから帰るのを見はからい、夫はひそかに後をつけました。案の定、妻は自分の家には帰らず、反対側の海辺に下りていくのです。周囲に気を配りながら、サバニ(小舟)を砂浜から引き下ろし、沖の方へ漕ぎ出しました。そしてそのまま、夜のとばりに包み込まれるように消えていきました。
朝方妻は帰ってきました。やはり、すそはぬれていました。夫は不安がつのるばかりです。次の夜、夫がミノ傘を着て小舟にひそんでいると、そうとも知らず妻は小舟をこいで漕いで沖へ進みました。カイをひとかき、舟はまるで千里をゆくように海面を滑って行きます。島尻海岸からカイの三かき、早や南蛮についていました。よく見ると、妻はひとつかみのコショウを持っています。
そして、来たときと同じように舟は海上をすべるように走って島尻の浜に着きました。夫はただ驚くばかりでした。妻の肩を抱いて、いくらたずねてもただ泣くだけでわけを話してくれません。夫は一計を案じました。「ここに南蛮通いをする女がいるよ」と、
夫は夜なべ屋で言いふらしました。みんなが奇異の目で女をみつめ、妙なうわさまで立つようになり、以来、人妻は南蛮通いをやめてしまったそうです。
なぜ人妻が南蛮まで行ってコショウを持ち帰ったのか、誰も知りませんが、久米島にコショウが広がったのはその後だということです。



久米島琉歌そぞろ歩き参照


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石ドーニー(2007-08-19 23:25)


この記事へのコメント
 勉強に、なりました。

  ありがとうごさいます。
Posted by 卑弥呼 at 2007年11月20日 22:19
卑弥呼 さん、コメント有難うございました。
Posted by 秀 at 2007年11月21日 14:44
 
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