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2008年04月24日

花の久米島

花の久米島の恋しフキン門も更けてつれなさや1人さらめ
                                              作・仲尾次 政隆
『若い男女がいままでにぎやかに夜遊びの場としたフキン門も、夜が更けてしまうと自分ただ1人、
誰も相手になってくれる者がいない。恋しさはつのるばかりで眠るにも眠れぬ、悩ましき一夜よ。』
花の久米島

フキン門(ふきんじょう)鼻先港の近く

1855年仲尾次政隆が一向宗の信者だと言うことで八重山の流刑を言い渡され小舟に乗せられ、那覇港を出て久米島がはるか彼方にかすんで見えるときに詠んだものだという。

久米島は仲尾次にとって思い出深いところであった。いく度か訪れた久米島で島の青年男女と夜が更けるまで遊んだことも、いまは走馬燈のように頭の中をかけめぐる。きょうもまた、あのフキン門の近くの遊び場には、若い男女がつどい、三味線をかきならして歌い、あるいは恋にたわむれることだろう。
二度と久米島には行けないだどうと言う思いから、仲尾次が不平等な支配社会への胸中を詠んだものである。




Posted by 秀 at 10:30│Comments(0)
 
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